司祭 ニコラス 中川 英樹
「私への自戒」
私は所謂青年期には「人とは強くあるべきだ」、そう信じて生きてきました。誰かを守れること、誰かを助けられること、誰かを支えられること、誰かに頼られることこそが、人を人として価値づけるモノだと・・・・・ズッと想ってきました。だから、私は強くなろうと、強くあろうとして、誰にも負けない人に必死になろうとしてきたところがあります。直ぐにへこたれるヤツ、弱音を吐くヤツがとにかく嫌いでした。ただ群れてるだけの若者たちも、偉そうにモノを云う大人たちも大嫌いでした。なので、たくさんのコトに抗って、たくさんの人を傷つけてきました。
しかし、「キリスト教」なるモノが、強さでは人は助けられないこと、むしろ、弱さが人を救うことを教えてくれました。自らの強さを手放せたとき、自分は弱く脆い人間に過ぎないことを知ったとき、私は聖職になりたいと思うようになり、その道を歩み始めました。
今、私には、自らに対して大切にしてきたことが4つあります。一つは、「絶対」という概念は、自分の「外」に持つこと。もう一つは、どんなときでも、自分が正しいと決断したこととは、必ず違うやり方や価値観があるということを認めること。三つ目は、できない理由、やらない理由を、自分以外の「他」に求めないこと。そして、最後の一つは、忙しいを言い訳にしないこと。
たくさんの失敗を重ね、私はほんとうに情けない人生を歩んできたと想うのです。この4つの大切にしていることは、そういう情けない自分への自戒です。自分の人生を振り返り、「紆余曲折」と云えば聞こえは良いかもしれませんが、実際はそんな格好の良いものではありません。でも一つだけ想うのです。そんな私が、聖職として、様々な人と人との「間」に在って、自分のことを格好つけず、自らを笑える人で居たい、恥をかける大人で居たいと、とくに今、大学という場で学生たちと関わる中で、そう想います。
現代社会は、何をするにも資格と能力を問われ、だから、みんな背伸びをして、自分以上の自分を着飾って装おうとしています。恥をかくことも、自分を笑うこともできないでいます。判らないから教えて、できないから助けて、怖いから一緒に居て、とは云えない世の中です。そんな中で、ひたすら恥をかく存在であり続けながら、一人ひとりの傍らに「自分じゃない自分を生きなくてもいい」って寄り添い、励まし、泣き、誠実に、正直に、笑いながら、これからも、キリストと共に歩いて往けたらと願っています。それこそが、キリスト・イエスがこの地上に遺していった最良の生き方、この破れ傷ついたこの世界に在る教会の使命だと思うからです。
因みに私の一番好きな聖書の言葉は、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(コリントの信徒への手紙Ⅰ15:10)という言葉です。



